インディアン居留地ンについて
どのようなことが問題だったのか、考えてみました。
居留地(きょりゅうち、特別保留地)とは、アメリカ合衆国内務省インディアン管理局(BIA)の下、アメリカ州の先住民族によって管理される土地。 リザベーションという呼び名が一般的だが、有力な民族のものは自治権が強く一つの国家にも等しい力を持ち、ネイション(国家)と言われる。 同様にアメリカ州の先住民族を抱えるカナダにも同種の土地が存在する。
当初、「保留地」とは、インディアンの故国として白人が保障してとっておいた(リザーブした)土地であり、白人側はインディアンをそこに閉じ込めるといった考えはなかった。狩猟のためにインディアンは保留地から離れることがしばしばあったし、白人がそこの土地を買ったり、勝手に進入したりすることも許されないということを、白人側はインディアン側に条約で約束していた。インディアンは保留地を通る幌馬車やカウボーイから、通行料を取ってさえいたのである。
だが、増え続ける移民の前に、圧倒的な武力を背景に白人側はインディアン部族に土地の割譲を迫り、インディアン部族はわずかな年金と引き換えに条約を呑まざるを得なくなっていく。トーマス・ジェファーソンは、「インディアン達の意思を無視して白人側が勝手に保留地の土地を買ったりすることは許されない」と述べたが、それは全くの空論だった。土地を巡る白人とインディアンの争いは次第に激化していく(→インディアン戦争)
東部の豊かな土地を所有していたインディアン部族の多くが、何のゆかりもない数千km離れた西部の土地へ強制移住させられた。(→涙の旅路)この強制移住は、数百数千に上る部族民の途上死を招いた。
1860年代を前後してユリシーズ・グラント、ウィリアム・シャーマンといった白人指導者たちは、「保留地に入らないインディアン部族は絶滅させる」という絶滅政策を採り、保留地をインディアン部族を隔離・管理するための収容所化していく。
さらに、1886年のドーズ法などによってインディアン保留地内の土地は細分化され、不動産化されていった。わずかな年金や品物と交換されて(それもまともに支払われることはほとんど無かった)矮小化されていった。数ドルの年金で、数十年単位で、市町村クラスの土地を白人農場主が半ば強制的に借り上げるようになっていった。保留地では、地主であるインディアンが、借地人である白人の農場などで、低賃金の肉体労働に従事していることは珍しいことではない。
同時に、インディアンが保留地から白人の許可なしに外へ出ることは全面禁止となった。違反者は死刑になった。(シャイアン族のリトル・ウルフとダル・ナイフの逃亡)
「保留地」には、内務省インディアン管理局(BIA)から白人の管理官が派遣され、保留地内のインディアンのすべての行いについて「監督・指導」するようになった。反抗的、不穏な部族や指導者は軍が呼ばれ、虐殺された。(シッティング・ブル、クレイジー・ホース、ウンデッド・ニーの虐殺)
儀式のほとんどがキリスト教的でないとして弾圧禁止され、シャーマンや呪い師は殺害された。狩猟も禁止された。保留地は、「インディアンが農業を行うための土地」となった。 が、ほとんどの保留地は農業不可能な不毛の原野である。
ようするに保留地の歴史すべてが条約違反なのである。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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